潮見という地名の由来と「蟻の町」の歴史:江東区の埋立地はこうして街になった
東京・江東区潮見の歴史をたどる記事。明治期からの埋立、1960年の「蟻の町」の移転、1968年の「潮見」命名まで、街の成り立ちを紹介します。
いま高層マンションが立ち並ぶ潮見ですが、この土地は100年ほど前まで海でした。そして「潮見」という地名がつく前、ここは「深川8号埋立地」と呼ばれ、「蟻の町」と呼ばれた共同体が移り住んだ土地でもあります。今回は街の成り立ちをたどります。
海だった場所が土地になるまで
潮見の土台となる埋立は、明治期に始まった東京市内の河川改修工事で出た浚渫土砂を使って進められたとされています。大正13年(1924年)には「深川枝川町地先第8号埋立地」としての工事が行われ、この「8号埋立地」という呼び名が、後の潮見の前身になりました。
- 明治43年〜:河川改修の浚渫土砂による埋立が進む
- 大正13年(1924年):第8号埋立地の工事
- 1968年:江東区に編入され「潮見」と命名
「蟻の町」の移転
潮見の歴史で特筆すべきなのが、「蟻の町(蟻の街)」の存在です。蟻の町は、戦後の東京で廃品回収を生業として共同生活を営んだ人々のコミュニティで、もともとは隅田川沿いにありました。「蟻のように働く」ことがその名の由来とされています。
1960年6月、蟻の町は隅田公園の地から、この深川8号埋立地へ集団で移転しました。移転先の敷地は約16,000平方メートルで、旧敷地の10倍の広さだったと記録されています。まだ地名すらなかった埋立地に、最初のまとまった暮らしが持ち込まれた出来事でした。
蟻の町は、共同体を支援し「蟻の町のマリア」と呼ばれた北原怜子(きたはらさとこ)の物語でも知られています。彼女の生涯は書籍や映画にもなっており、潮見の前史に関心がある方にはたどりがいのあるテーマです。
「潮見」という名前
1968年2月、8号埋立地は正式に江東区へ編入されます。このとき、「潮の香の漂う地」であることから「潮見」という町名がつけられたとされています。運河に囲まれたこの街の性格を、そのまま映した名前です。
その後、1990年3月には京葉線の東京駅延伸にあわせて潮見駅が開業し、街は住宅地として少しずつ姿を変えていきました。駅の話は潮見駅ガイドで詳しく書いています。
歩くと歴史が見える街
いまの潮見を歩いても、「蟻の町」の痕跡を意識することはほとんどないかもしれません。それでも、埋立地ならではのまっすぐな街路や、運河と橋の配置には、この土地が計画的に「つくられた街」であることがよく表れています。
散歩のときに少しだけ歴史を思い出すと、見慣れた景色の解像度が上がります。潮見の全体像は江東区・潮見とはどんな街?からどうぞ。
※本記事の歴史記述は、江東区の資料やWikipediaなど公開情報をもとにしています。年代や数値は資料により異なる場合があります。